「こどものまちOBパネルディスカッション〜こどものまちが私にもたらしたもの〜」
こどものまちを卒業したOBのみなさんにきてもらい、どんな気持ちでこどものまちをやっていたのか、こどものまちの活動が今の自分にどんな影響を与えたのか、大人になったOBが語る!
【パネリスト】
三浦絢佳:「ミニヨコハマシティ」初代市長。
市長を三期務める。現在は、横浜市職員として小学校の先生。
金岡香菜子:(特)NPO子どものまち理事長。
「ミニさくら」初回に市民として参加し、翌年からは子どもスタッフとして参加。18才で子どもを卒業し、現在は大人サポーターとしてかかわる。
内海菜々花:「こどものまちCBT」に初回からかかわり、初代市長を務める。
現在は千葉県の学校で支援員をしている。 半田唯衣:高知県立大学社会福祉学部1回生。とさっ子タウン市民を2年経験後、現在とさっ子タウン実行委員会 副実行委員長。 神村美里:むさしのミニタウン運営経験あり。東洋大学国際地域学部3年生。現在まちづくりを勉強中。
司会:百崎佑(NPO法人ミニシティ・プラス会員、前ミニヨコハマシティ市長)
司会)こどものまちでなにをしていたか?などについて、教えてください。
三浦絢佳(横浜市)
メイドカフェが流行っていたので、
自作のエプロンをつくり、ネコ耳をつけて。サンドイッチが生ものNGといわれ、ショックを受けたが、スープパスタを出した。
そのままミニミュンヘンにも行って、ダンスした。 ミニヨコの最初の年に市長になることができ、そのあと何年かつとめた(3年)
半田唯衣(高知県)
小さい頃過ぎておぼえてないけど、大人の人に聞くと、よく働き、遊んでいたと言われた。その中で印象に残っているのは、えんぴつの形の名前入りストラップをつくったこと。そのくらいの記憶しかない。
内海菜々花(千葉市)
最初のまちで市長だったので、市長室をつくり、みんなが何をやっているか見に行くという自由なポジションだった。横浜で行われたこどものまちにCBTのお店をだしたり、ドイツのミニミュンヘンにもいった。
金岡香菜子(千葉県佐倉市)
12才のときから参加。最初はアクセサリー屋さんの店長。 そのあと子どもスタッフをしていて、だんだん仕切るようになって。こどもと大人のつなぎ役。18才になって、大人スタッフになった。でも大人とこどもの中間点で迷いながらやってた。
神村美里(武蔵野市)
ひたすらお好み焼きを焼いていた。市長は選挙でなく、実行委員長が自動的になっていた。偉い人がくるとその対応をする役目だった。高校生はもう大人の運営会議に参加していた。 それが楽しかった。
司会)市長の役割ってはっきりしてないまちが多いのかな?会場のみなさんに聞きます、他のまちはどうですか?
会場からミニいちかわ) 起業の許可を出す。落とし物管理。企画課とイベントを計画したりします。あと市長は年間を通して次のまちの準備にも関わります。
三浦)ピカイチアイデア~ミニヨコでいろいろなアイデアについて考えることが多く、そのことでアイデアをたくさん出せるようになった。今、仕事の中でも、他の職員がおもいつかないようなおもしろい企画をし、学校のクラスで活かしている。もうひとつはフットワークが軽いということ。職場にもぼーっとした人がいるのですが、自分はとにかく「気づく」人になったなと思う。どんどん気づいて、すぐに行動できる。いろいろな人とつながっていき、自分が気づいたことを進んでやる力がミニヨコでついた。
神村)現場力と書いた。他の人をこどものまちに誘っても、やってて何の意味があるのか、と言われたことがある。でも私は意味があると確実に思っている。 サークルのコンサートをやったときに、今やるべき事に気が付いて、指示をとばせる自分がいた。大人数の人の前で叫ぶということができる。これは大事!こういうことができるのは、こどものまちでひたすら駆け回ったせいかと思っている。
内海)私が市民だったときには、なんでも気づくようないい市民ではなかった。CBTをやってみて、なんでもチャレンジできる楽しさがあった。市長になって新しい制度をまちでつくれたりとか、そんな経験があるから、いまでもなんでもチャレンジできるのかなと思っている。 こどものまちの中で結婚制度をつくった。
司会)結婚制度ってお祝い金目当ての偽装結婚がでたときいたんですが・・
内海)最初は男と女じゃなくては、といっていたけど、男同士、女同士でもよくなり、お祝い金目当てで結婚する人もでた。
金岡)ミニさくらも同じ。重婚もできるので、ひとりで何人もの妻がいる人もいる。また養子縁組をすると手当がもらえるので、すごいたくさんこどもたいる人もいる。
半田)スタッフをやるようになり、自分で考えて行動できるようになった。イベントスタッフって指示されるだけじゃだめなところがあると思う。最初は人に言われるまで動けなかった。イベントスタッフのバイトしているが、とさっこタウンの経験が役立っているのではないかと思う。 また、たくさんの人とコミュニケーションをとるので、コミュニケーションの取り方が身についた。ボランティアでたくさんの人とふれあい、人がすきになり、それがあって社会福祉学部にいる。人にかかわったことが今につながっている。
司会)ぼくも最初にミニヨコに参加したときに人見知りで、人前でしゃべるのも苦手で、岩室さんに進められて、副市長になったのですが、人前でしゃべれなくて、ちょうどここにある写真が小学生のぼくなのですが、はじめて参加したシンポジウムでなにを話していいかもわからず「そんなちっちゃい声じゃ聞こえないよ」と岩室さんや三浦さんにダメだしされながら、なんとかやってきて。それで今日のように人前でもなんとか話すことができるようになった。それもミニヨコに参加したからかなと思います。
三浦)ももちゃんは最初、この子大丈夫かなと、思うような頼りないとこがあった。でも参加すればするほど、成長していき、他のひとを巻き込みながら、どんどん積極的になっていったのを見てきた。
金岡)物おじしないこと、上の世代にも下の世代にもちゃんと向きあい、一人の人として話せるクセが身についた。また、いろんなことに気づいて(あれが足りてない、ここがもっと)自分でも動けるし、人に指示を出せるようになった。商店街でやっているので、おじさんに文句とか言われたこともあったけど、対等に対応できた。その中で商店街の人が差し入れしてくれたり、自分だけでなく、まわりも変わっていくのを感じるようになった。
金岡)他の人の、大人と子どもの中間の時期ってどうだったかを聞きたい。
三浦)私も最初はこどもと一緒になってなにやろう、と考える側だった。大学生になってしばらくしたら、見守るという立場にだんだんなった。「こうしたらいいんじゃない?」「こうすれば」というのではなく、相談を受けるまでは「見守る」というように変化していった。
内海)私もだんだん「引き継ごう」という気持ちになった。まわりの子どもたちも成長していく。それを見ていて安心してまかせらせると思った。でもまだやりたい気持ちもある。
司会)かなちゃん(金岡)は、こどものときから参加し、その後運営団体の理事長になるということは、すごいですよね。その経緯が知りたいです。
金岡)私たちの団体の場合、理事長になりたくてなる、というよりもこどものまちを続けていきたいから、理事長になる、という感じで、最初は桃子さんがやってきたけど、出産を機に新谷さんになり、新谷さんもお仕事がいそがしく、私に順番がまわってきた。いつかはやるのかなと思ってたけどおもった以上にはやくまわってきた。
代表になってからNPO法人になり、そこの理事長になってしまった。他のスタッフのみなさんを信頼していたので、きっと助けてくれるだろうと思って、動揺はあったけど、こどもまちを続けていきたい気持ちの方が強かった。責任とってやるよ、という気持ちはあった。
司会)ミニさくらは事務所をクラウドフェンデングで購入するということもしてますよね。
金岡)ずっと商店街の中の拠点で続けてきた。大家さんが手放したいといい、できなくなるのが悲しいので、なんとか大人が考えなくちゃとクラウドファンディングでみなさんに助けてもらい、事務所を自分のところの持ち物にした。
司会)すごいですね!
司会)子ども市民としてかかわっていたときと大人スタッフのときの違いは?
金岡)大人と子どもの狭間でもだえ苦しんでいた時期もあった。最近はやっと一歩引いて見られるようになった。その立場になれて思うのは「大人ってすごい」ということ。ミニさくらの大人たちは私がぎゃーぎゃー言っていたのをよくずっと待っててくれたな〜って。受け入れてくれてた。自分が大人になって、こどもにすごい手を出したいし、口出ししたいし、こんなことやっちゃだめとか、こうやったらうまくいくのにとか、たくさん思う。でもさくらの大人たちがそうだったように、自分も見守って、まってなくちゃと思う。自分もミニさくらの大人のようになりたいなと思う。
司会)ミニヨコがすでにあってから、参加しているのでそれが当たり前だったけど、大きくなって、大人が協賛や協力を集める努力があって、成り立ってると知って感謝した。
三浦)19才のときに、大人ってこどものまちに来て何してるんだろうと思ったことがあった。それで20才になったときに大人の人の楽しめるものってないかなと、「大人のおこさまランチ」を考えた。ケーキに見えるお好み焼きとプリンにみえる茶碗蒸しを出したり。大人ツアーも大人が楽しめるよう、始めた。
神村)こどものまちがあることは、社会にとってどんな意味があるのかと考えるようになった。自分にとって得意なことに気づけるこどものまちはすごい貴重なんだと気づいた。
半田) ただ楽しいだけだった経験の意味に気づいた。当たり前にまちを楽しんでいたが、スタッフになって、たくさんの人の力。大学生や大人が、企業に協力をもらうために走り回っていて、それでなりたっているんだと気づいた。
内海)大人とこどもの間のずるずる期があった。今は、一歩引く姿勢を大切にしたいと思っている。大人からみると「まじか」とか「できそうにない」と思っても、たとえできなくてもそれでもこどもは楽しいのだから、見守る姿勢を大切にしたい。 また、本当にこどものまちになっているか?を考えるようになった。受付などもこどもが本当はやったほうがいいと思う。大人になって、場所とか費用とかの裏事情を知って、大人に本当に感謝している。
金岡)こどものまちができて当たり前という発言に動揺している。いつもミニさくらは存続の危機と闘ってきた。大人になって、これからも存続していけるのか不安。
神村)むさしのミニタウンはなくなってしまった。まず、こどもスタッフもいなくなった。受験やいろいろで・・。
金岡)こどもは、ちょっと無理かなと思っても、やってみたらいい。大人の人はきっと助けてくれる。
☆会場からの質問
ミニヨコのこども:学校の先生になっている人がいるとおもうんですが、こどものまちのことを学校で話したりしますか? 三浦)私は自分の載っている写真を校長室に貼ってもらっています。それをみた人に、尋ねられ、「三浦先生は、昔市長やってたらしいよ。こどものまちの」と言われたり。できればミニヨコの地元で学校に勤務したい。総合の学習の時間にコラボできるかも。実は以前に授業でお買い物の経験をするのに、クラスだけの通貨をつくり、お店をつくり、買い物の体験をするこどものまちに近いことをした。それがすごくこどもには楽しかったようだ。これからも広めていく。
内海)学校のバザーなどでこどものまちを取り入れていきたい。
☆会場からの質問
ミニヨコのこども:こどものまちをやっていて、よくなかったことはありますか?
三浦)私はミニヨコのボランティアをしていたときに、彼氏にボランティア行くの?と言われトラブルになり、別れた。それがよくないことかな?
神村)小さい頃からこういうイベントをやっていると、大学生になってまわりの人があまり動かないことに激しく腹が立つ。 ボランティア活動に関して、まわりの理解がない。
金岡)いろいろ考えることがありすぎて、しんどいことがある。気が付かなくていいところまで気が付いて、考えこんでしまう。あとは、アルバイトしてて、こどもたちに声かけられすぎる。それから私はミニさくらをやっていた、中の人と結婚した。毎月また、いないの?と言われるけど、でも理解してくれてる。わかってくれる人はいると思う。
内海)高校生スタッフがすくない。会議をまとめる高校生がいないのでしんどい。ミニかさまつは高校生が多いと聞いているので、どうしてるか聞いてみたい。 ミニかさまつ)高校生がやりたいこと、大人はNOと言わないこと。自分はギターでライブやりたかった。それをいいよと言ってもらえた。部活でこれない人には、当日だけでもいいよというと、気軽に来てくれる人もいると思う。
☆会場からの質問
流山の大人スタッフ:大人になってから、自分のまちのよさに気が付いたことがありますか?
CBT:本物の市長がきてくれること。投票箱とかも本物
ミニヨコ:ミニヨコもそうです。
とさっこタウン)高知県ならではこどものまちのものがある。ハシケン道場では本物の芸者さんがくる。本物のまちにもある、路面電車がこどものまちにも走っている。またスタッフの打ち上げで多くの人と知り合いになれるのも魅力。
むさしのミニタウン)大人たちがNPOでもなく、こどもたちになにかしたいと熱い思いで10年やってたことがすごい。
☆会場からの質問
ミニたまゆり学生スタッフ:ミニたまゆりは、保護者の方をいれている。他のまちはどうか?
金岡)会場が商店街。大人の排除はできない。入り乱れている。なるべく見守ってくださいといっている。大人は引き離したい
三浦)高校生のときに、ミニヨコに保育園のシステムをつくった。小さいどもは遊んだら、お金がもらえるようにした。ミニヨコは大人が入れない。こどもは、伸び伸びとやれていたので、それがこどものまちの醍醐味。
半田)こどものまちには大人は入れない。保護者はまったく入れない。
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司会)それでは、未来のことについて、これからどうしたいかについて話してください。
内海)こどものまちでいうと「多様性のあるこどものまちにしたい」 いま自分の仕事で障がいのあるこどもにかかわっているので、そういったこどももこれるようなまちにしたい。 千葉市おゆみ野こどものまちでは、手話教室という仕事があった。大学生の手話サークルの人が先生。コアスタッフに耳の不自由な子がいた。大人になって「大人も楽しめるまちにしたいな」と思った。ミニミュンヘンでは大人がすごく楽しそうだった。自分自身のことでいえば、今までやりたいことをやって暮らしてきたので、これからも楽しいことをやって暮らしていきたい。
三浦)自分が生きていく上で、みんなが笑顔でいられるようでありたい。ミニヨコのこどもたちも会議にきて「今日は楽しかった〜」と笑顔でいられるように。自分の仕事でも自分が笑顔でいて、こどもたちが「今日も楽しかった」といえるようでありたい。
神村)自分がいっぱい遊べたことを、自分の下の世代に返していけるような人になりたい。「恩をつなげる」とはそういうこと。私は、習い事よりも、まちや地域のコミュニティの中で学べることがたくさんあったので、そういう社会にしたいなと。ただそれが実際に(何をやっていくか)まだ具体化できていないので、日々悶々としている。
半田)これからもっと絆、つながりを大切にしていきたい。ボランティアをやっていると知り合いが増える。高知ではどこへいっても誰かに会う。すこしだけの知り合いでも積極的に声をかけていきたい。いまの大学を選んだのも、とさっこタウンがあったから。社会福祉学部は人にかかわる仕事なので、人とのつながりを大切にしていきたい。
金岡)みんなかっこいいこといってるので言い出しづらいけど、私は「みんなで笑っておいしいごはんを食べていたい」こどものまちのみんなも、ここにいる人達も生きていく上でいろいろ悩みはある。でもみんなでたのしくおいしいご飯を食べて笑っていられるようなそんな社会になっていったらいいなと思う。
半田)こどものまちをやっていると、こどもってこんな発想があるんだと思うことがある。(可能性がある)
自分も受験で絶望的だったときに、「自分のことを信じてがんばれ」といわれて、気合いをいれて受験に受かった。やりたいと思ったことはぜひやってほしい、自分たちの可能性を信じて、なんでも挑戦してほしいし、これからもこどものまちにかかわってほしいなと思う。
神村)やってみたいをあきらめない!やってみたいことをあきらめないでやっていれば自分の中で学べることがある。こどものまちで、自分の好きなことをやっていたら、将来こんなことやってみたいなということが見つかり、大学の進路にもやくだった。大学受験のときにも悩まなかった。いま東洋の夜間部に通っていて学費カットにも成功した(笑)。自分の道がきまっていることで、いろんな無駄がはぶけたりもする。自分には向いていないかもとかで、やってみたいことをやってみないことはもったいない。やってみたいことをやってみてください。
三浦)「いろんなこと、全力で」。これを自分自身がモットーで生きています。大人になるとどうしても全力の力が弱まってくる。こどものうちは120%、いや1000%全力で出来ると思う。なにかやりたいことがあったら2つでも3つでも、いろんなことを全力でやること。その中から必ず「これはよかったな」ということが出てくる。だから、ぜひこどものまちも全力でやってみてください。
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